株式会社矢藤園とは?
株式会社矢藤園は、東京・世田谷を拠点に、都内で造園工事を手がける会社だ。個人宅の庭の管理を中心に、植木の手入れから外構、駐車場づくりまで幅広く対応する。創業はおよそ100年前。元は植木を育てる生産業から始まり、矢藤昭憲さんで四代目にあたる。
そして今、矢藤園はもう一つの大きな挑戦に踏み出そうとしている。静岡の山を舞台にした、環境教育の拠点づくりだ。「職人」を名乗る矢藤さんが語ったのは、庭の話を超えて、自然とのつき合い方、そして働き方そのものへの強い思いだった。

世田谷で100年。「植木屋」から続く四代目
矢藤園のメインは、都内での造園工事だ。「うちは主に個人のお庭ですね。植木を切ったり、外構も含めて駐車場を作ったり。そういうのがメインです」と矢藤さんは話す。
東京・世田谷で約100年続く造園会社は、決して多くない。「東京大空襲もあったので、そこで事業が終わった会社も多いなかで、よく続いていますね」という問いに、矢藤さんは穏やかに応じる。「もっと古い会社さんもありますよ。うちは元々、植木を作る仕事から始まったんです」。生産を担った初代・二代目から、三代目でその生産は少し離れ、矢藤さんが四代目として暖簾を受け継ぐ。

祖父の山を、環境教育の拠点に
矢藤さんが今、力を注ごうとしているのが、静岡にある山の再生だ。「僕の祖父が、60年くらい前に買った場所があるんです。そこで僕はずっと育った。遊び場だったんですね。それが荒れていくのがちょっと悲しくて、家に戻ったというのが大きいかもしれません」。
構想しているのは、キャンプサイトとワークショップを通じた環境教育だ。背景には、アウトドア業界への問題意識がある。「アウトドアって、キャンプ用品みたいにモノを売る仕事がほとんどなんです。日本はこれだけ自然が多いのに、教えてくれるという"ソフト"が全然ない」。
矢藤さんが育てたいのは、子どもではなく、むしろ大人だという。「自然を通して何かしようとしなかった大人のツケが、今回ってきている。だから僕は大人を教育したいんです」。生物多様性も、人が手を入れ続けなければ落ちていく――自らの子がカブトムシで遊べなくなった経験を交えながら、「一度人間が手を入れた自然は、ずっと手を入れ続けないといけない」と語る言葉には実感がこもっていた。
「一番足りないのは、人」
理想を描く一方で、課題も率直だ。「一番足りないのは、人ですね。括弧して、人脈みたいな」。この活動に興味を持ち、一緒にやっていきたいと思ってくれる仲間。そして、発信を担える人。「インスタやYouTubeでどう発信していくか。僕はおじさんなので、その辺が苦手なんですよ」と笑う。
ワークショップには、矢藤さんが選んだ各分野のスペシャリストを講師に招く。「そこをケチると意味がない」からこそ費用もかかり、人を集める難しさもある。それでも「どっぷりマニアックでスペシャルなワークショップ」にこだわる姿勢は変わらない。

学生へ──「手に職をつけて、自立してほしい」
就活を控えた学生へのメッセージを尋ねると、矢藤さんの言葉はまっすぐだった。「やっぱり手に職だと思うんですよ」。
「なるべく20代で、ある程度手に職をつけてほしい。雇われていてもいいけれど、会社に寄りかかってほしくない」。同世代が「社畜」とこぼし始めた40代の今だからこそ、伝えたいことがある。「職人の世界は、ご飯を食べる術を教えるんです。そこは他の会社さんとは違うかもしれない。どうやって自立していくかを考えて、それが身につく環境に行ってほしい」。
リクナビやマイナビには出てこない世界がある、と矢藤さんは言う。「真面目に一生懸命やる今の学生だからこそ、ちょっと危ういなとも思う。手に職って、なかなかそういうサイトには出てこないんですよ」。
「5年やったら、とんでもないことになる」
最後に、改めて矢藤園の魅力を聞いた。「環境教育的なことを、造園屋が始めたということに興味を持ってもらえれば、期待に応えられると思います。本当に実地なので、小手先のことは突っぱねられるような世界にいる」。
そして、こう続けた。「ここで5年やったら、とんでもないことになるぞと思っているんです。22歳から5年やっても、まだ30歳にならない。やる人がいないからこそ、ちゃんと5年、10年やれば、僕はワクワクしちゃう。"こいつらとんでもないことになるぞ"って」。100年の造園の技術と、自然への深い眼差し。その両方に触れられる環境は、確かに稀有だ。






