有限会社黒潮重機興業とは?
有限会社黒潮重機興業は、宮城県を拠点に重量物輸送を手がける運送会社です。ショベルカーやブルドーザーといった、建設現場で使われる建設機械(重機)の運搬をメインとしています。一般的な運送業のなかでも重機を運ぶトラックは「100台のうち1台」ほどの割合にとどまる、非常にニッチな領域を専門とする会社です。
重機を運ぶトラックは、その構造が特殊で、いろいろなトラックに載せられるものではありません。逆に「重機しか載せられない」トラックだからこそ、専門性の高い技術と経験が求められます。土を動かす土木のお客様が多く、日中の運搬を中心にしながら、大きな荷物や道路工事など内容に応じて時間帯や運び方を変えて対応しています。
同社が掲げるのは「最後の切り札でありたい」というミッションです。ほかの業者が引き受けられないような緊急の依頼にも応える。そのコンセプトの原点には、社長自身が経験した東日本大震災があります。本記事では、二代目社長の菅原さんに、仕事の魅力や自身の歩み、若い世代へのメッセージを伺いました。
有限会社黒潮重機興業は、宮城県を拠点に重量物輸送を手がける運送会社です。ショベルカーやブルドーザーなど、建設現場で使用される建設機械(重機)の運搬を主な事業としています。一般的な運送業の中でも、重機輸送を専門とする車両は「100台に1台程度」といわれるほど少なく、非常に専門性の高い分野を担っています。
重機輸送に使用するトラックは特殊な構造をしており、どの車両でも運べるものではありません。その一方で、重機輸送に特化した車両だからこそ、高度な技術と豊富な経験が求められます。主なお客様は土木工事を手がける企業で、日中の運搬を中心に行いながら、大型機械の輸送や道路工事に伴う案件など、現場の状況に応じて時間帯や輸送方法を柔軟に変更し、対応しています。
同社が掲げるミッションは、「最後の切り札でありたい」ということです。他社では対応が難しい緊急の輸送依頼にも応え、お客様にとって頼れる存在であり続けることを目指しています。その原点には、社長自身が経験した東日本大震災があります。
本記事では、二代目社長である菅原さんに、仕事の魅力やこれまでの歩み、そして若い世代へのメッセージについて伺いました。

重機運搬という仕事について
恥ずかしながら、私は街中で重機を運ぶトラックをあまり見たことがなくて。ショベルカーなどを運ぶお仕事、という認識で合っていますか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太そのとおりです。私たちは、ショベルカーやブルドーザーなど、建設現場で使われる建設機械(重機)の運搬をメインに行っている運送会社です。
運送業全体で見ると、例えば100台のトラックが走っていたとして、その中で重機を運んでいるトラックは1台あるかどうか、というくらいニッチな分野なんです。
重機を運ぶトラックは構造が特殊なので、重機輸送に特化した車両だからこそ台数も限られますし、それだけ専門的な知識や技術が求められる仕事だと思っています。
100台に1台なんですね。夜の時間帯に多いお仕事なのでしょうか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太基本的には日中の運搬が中心です。ただ、荷物が大きくなると昼間は運べないルールがあるので、その場合は夜間に運搬します。
お客様は、河川工事やダム工事など、土木工事を手がける会社が多いんです。そのため、朝に現場へ重機を運び、夕方に作業が終わったら引き取るという流れが多く、結果的に日中の稼働が中心になっています。
では朝は早いのでしょうか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太早いですね。仮にお客様が朝8時から作業を始める場合は、それまでに現場へお届けしなければなりません。会社を朝5時頃に出発して、3時間ほどかけて運ぶこともあるので、早朝から動くこともしばしばあります。

二代目を継ぐまでの歩み
菅原さんが二代目を継ぐきっかけについて、幼少期から見ていた景色も含めて改めて伺えればと思います。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太私は二代目で、父が創業者です。父はトラック1台から会社を立ち上げ、自らトラックを運転して現場を回っていました。
私は幼稚園に入る前から父の助手席に乗せてもらっていたので、大人になったらトレーラーに乗りたいとずっと思っていました。父の姿がすごくかっこよく見えたんです。
では、継ぐことにも前向きだったのですか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太いえ、当時は継ぐつもりはありませんでした。自宅兼事務所だったので、家で仕事をする両親の姿を見ながら、良い面も大変な面も感じていました。
私はトラックに乗ることは好きでしたが、事務所でデスクワークをするのがあまり好きではなかったんです。やるならトラックの運転手として働きたい。でも、社長にはなりたくないという考えでした。
父から「会社を継げ」と言われたことも、一度もありませんでした。
そこからどのような道を歩まれたのですか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太もともと車が好きだったので、自動車整備の専門学校に進み、卒業後は日産に就職したいと考えていました。でも、ちょうど就職氷河期の時代で、希望する就職先が一切なかったんです。
そこで思い浮かんだのが、大型車の整備でした。当時は、乗用車の整備士は初任給18万円程度で残業代がつかないのが当たり前というブラックな時代でしたが、トラックの整備は初任給が20万円を超え、残業代もしっかり支給されて日曜日が定休というのが条件が良いと感じて、大型整備の道に進みました。
そこから会社に戻られたのですね。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太大型車の整備を3年ほど続けた頃、仕事中の怪我で入院したことがありました。ちょうどそのタイミングで、父から「整備管理者が辞めるので会社に来ないか」と、初めて声をかけられたんです。
ちょうど整備の仕事にも区切りを感じていたこともあって、「会社に戻ればトラックにも乗れるかな」というくらいの気持ちで戻ることにしました。それが最初のきっかけです。当時23歳でした。
震災が変えた、仕事への見方
会社に戻られてからは、どのような日々だったのでしょうか。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太当時は景気がとても悪く、会社も決して忙しい状況ではありませんでした。その影響で退職する人もいて、10年ほどの間に運転手の人数は3分の2ほどまで減ってしまいました。
当時の私は、この仕事の本当の魅力をまだ理解できていませんでしたし、何を目標に会社を継げばいいのかも見えていませんでした。将来の方向性を見いだせないまま、日々を過ごしていた時期でした。
そこに、東日本大震災があったのですね。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太震災のとき、私は会社にいました。事務所は2階建てで、10メートルの津波が来るというニュースも「来るわけがない」と思っていたんです。ところが向かいの整備工場長にばったり会い、「逃げないの?」「何強がってるんだ!!何もなければ戻ってくればいい。」と言われて、なんとなく避難しました。結果、事務所は流されたトラックがぶつかって倒壊しました。事務所にいたら終わっていたんです。
まさに、生かされた命だったのですね。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太そうです。津波が来るまでの1時間に、車を取りに戻ろうか、迎えに行こうかと、いくつもの判断の分かれ道があって、そのすべてで留まることを選んだから助かった。「ああ、自分は生かされたんだ」と強く感じました。この生かされた命をどうしようかと考えたとき、自分がやっている重機運搬は、災害時に道路を切り開き、復旧を進めるため一番に必要とされる仕事だと気づいたんです。その重機を最前線へ届けられる仕事なんだと思ったとき、この仕事の価値を初めて実感しました。
そこから見方が変わったのですね。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太見方は180度変わりました。トラック10台のうち5台は津波で流されましたが、残った5台と新たに購入した車両で、翌日から仕事を始めました。
実際に動いてみて、それまで当たり前だと思っていた仕事が、こんなにも人の役に立つ仕事だったんだと初めて実感したんです。その瞬間に、自分の中のスイッチが入ったんです。
それを機に、困っている人を助けたいという思いで仕事をするようになったんです。
のちに能登半島地震の被災地も視察されたと伺いました。
能登と自衛隊は別の話です。質問を変えてください。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太発災後まだ行方不明者の捜索が続くなか、自衛隊の基地へ重機を運ぶ場面がありました。何十人もの隊員の方々が敬礼で迎え、敬礼で見送ってくれたんです。
その光景を見て、「この仕事をやっていて本当によかった」と心から思うと同時に、「もっと頑張ろう」「もっと力になりたい」という気持ちが自然と湧いてきました。
「最後の切り札」というコンセプト
今後、どのような企業であり続けたいとお考えですか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太ホームページの一番最初にも掲げていますが、「最後の切り札でありたい」というのが当社のミッションです。
困ったときに真っ先に思い出してもらえる会社、そして「黒潮重機なら何とかしてくれる」と頼っていただける存在であり続けたいと思っています。
同じ仕事をしている会社はほかにもありますが、この業界は予定どおりに動くことばかりではありません。重機を使う予定も1カ月前ではなく、3〜4日前に決まることが多く、急な変更も日常茶飯事です。
実際に今日も、打ち合わせの30分前に「機械が故障したので、今から交換に来てほしい」という連絡が入り、いったん帰社した運転手にも事情を説明し、戻ってきてもらいました。そうした急な依頼にもできる限り応えられる会社でありたい。それが「最後の切り札でありたい」という思いにつながっています。
つまり、他社では対応が難しいような急な依頼にも応える、ということですね。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太そうです。「今日はもう難しいです」とお断りするようなケースでも、困ったときに声をかけていただければ、できる限り力になりたいと思っています。それが当社のコンセプトです。この考え方の原点は、やはり東日本大震災での経験ですね。
従業員の方に、その意識を共有するのは難しくありませんか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太正直、簡単ではありません。急な依頼が入ることもあるので、帰社した後に協力をお願いする場面もあります。
ただ、そうした対応がお客様からの信頼につながり、次の仕事にもつながっていくことは、日頃からしっかり伝えています。もちろん、協力してくれた分はきちんと評価し、手当などにも反映しています。
現在、運転手は14人いますが、東日本大震災を経験したメンバーは半数以下になりました。当時を知る人と、その後に入社した人とでは仕事に対する考え方に違いがあるのは当然です。だからこそ、震災で感じた仕事の意味や、この仕事が社会に果たす役割を、これからも次の世代に伝えていきたいと思っています。
採用と、若い世代へのメッセージ
求人はどのように行っているのですか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太実は、求人情報誌には出していません。ホームページとSNSだけです。
求人情報誌だと、「どこでもいいから働きたい」という人も応募してきます。でも、ホームページやSNSを見て「黒潮重機興業で働きたい」と思って来てくれる人は、会社のことを知ったうえで応募してくれるので、長く続けてくれることが多いんです。
もちろん応募がたくさん来るのはうれしいですが、数よりも「ここで働きたい」と思って来てくれる人と一緒に働きたいですね。
ほかの会社と差別化し、自社の魅力をきちんと発信する
数少なくても「うちがいい」と来てくれる人を大切にする
毎日違う場面に刺激を感じられる人に向いている仕事である
会社の魅力を正しく発信し、「ここで働きたい」と選ばれる企業を目指す。
人数ではなく、「この会社で働きたい」という意欲を持った人材との出会いを大切にする。
毎日異なる現場や状況に柔軟に対応し、変化を前向きに楽しめる人が活躍できる仕事である。
業界が「きつい」と見られがちなことについては、どうお考えですか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太現場で作業をする仕事は、本当に大変だと思います。ただ、私たちの仕事は基本的に運転が中心なので、車内はエアコンが効いていますし、働く環境も以前に比べて良くなってきました。時間や労働環境についても、法律の整備が進み、安心して働ける環境になってきています。
もちろん給料も大切ですが、それだけではないと思っています。働きやすい会社か、一緒に働く人たちがいいか。そういったことも、長く働くうえではすごく大事です。
また、重機運搬って、ただ運ぶだけの仕事じゃないんです。専門的な知識や技術が必要ですし、だからこそのやりがいもあります。そういう仕事の魅力を、これからもっと発信していきたいですね。
やりたいことがわからない、という若い方も多いです。菅原さんならどんな言葉をかけますか?
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太昔の私も、まさにそうでした。
だからこそ思うのは、もし自分で挑戦したいことがあるなら、誰かに雇われるだけではなく、自分で挑戦してみるのもいいということです。自分が本当にやりたいことなら、忙しくても不思議とストレスにはなりません。
一日は24時間ありますが、その多くの時間を仕事に使います。だからこそ、自分が「楽しい」と思える仕事に出会うことが、人生を豊かにすることにつながるんじゃないかなと思います。
とはいえ、いきなり起業となると難しくも感じます。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太考えが逆でもいいと思うんです。やりたいことを見つけてから起業するのではなく、「自分で挑戦する人生って面白そうだな」と、自分の中で納得できればいいんです。
人は説得されても、なかなか動きません。でも、自分の中で腑に落ちて納得すると、一気に行動が変わります。「じゃあ何をやろう」「そのためには何を学べばいいんだろう」と、自然と逆算して考えられるようになるんです。
同じ3年、5年働くにしても、目標があるのとないのとでは、仕事への向き合い方はまったく違います。だからこそ、若いうちにいろいろな場所へ行って、いろいろな経験をしてほしいですね。その経験の中で、自分が本当に納得できるものに出会えたら、それが人生の大きな転機になると思います。
私は仕事へのスイッチが入ったのが33歳でした。正直、遅かったと思っています。もちろん33歳からでも変われます。でも、もし20代でそのスイッチが入れば、その後の10年はまったく違うものになります。だから私は、20代のうちにたくさん経験して、自分が心から納得できるものを見つけてほしいと思っています。
社長ご自身も、変化を続けていらっしゃるのですね。
有限会社黒潮重機興業 代表取締役:菅原 隆太以前は、自分がいないと会社が回らない状態でした。でも、5〜6年かけて社内で使う配車システムを開発したことで、今では同業他社にもサービスを提供できるようになりました。
そのおかげで外へ出る機会が増え、いろいろな社長さんと出会い、情報交換をする機会も増えました。そうした出会いの中で、新しい考え方や学びをたくさん得ています。
やっぱり、会社の中だけにいては見えないことがたくさんあります。今もまだ勉強中ですが、外へ出て人と会うことの大切さを、改めて実感しています。




